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催眠術の歴史

催眠術は、明治初期頃日本に移入してきたとされ、その間、何度もブームを巻き起こしつつ現代にいたっている。

しかし、「催眠術」という語がかもしだすいかがわしさ、うさんくささは、「ジュツ」という響きの中に凝縮されているように思う。催眠術師も魔術師も妖術師も、どうも同じジャンルの存在に思われる響きがある。

そこで現在、心理学系の分野では、「ジュツ」を取って「催眠」「催眠法」という語を使用している。

ここで「催眠」は、科学の研究たり得るのか、それともオカルティックな「秘術」の類なのか、”フランツ・アントン・メスメル”に始まる近代催眠術の歴史は、この両極の間をさまよってきた。メスメルがパリで催眠療法を始めたのは1778年のことである。

メスメルの理論の中心は、「動物磁気説」である。宇宙には目に見えない流体「動物磁気」がすみずみまで浸透しており、病気とはこの流体の滞りによって生じることで、大量の動物磁気を保有している人間が、病人にそれを分けてあげれば、病気は治癒するという説である。こうして彼が、あくまでも科学として提示した理論体系を、「メスメリズム」と称されるようになった。メスメリズムこそまさしく「気功療法」であり、催眠と気功のつながりが出てくる。

その後、メスメルの弟子である”ピュイゼギュール”という人物が、動物磁気催眠という技法を発見し、いろいろな実験やテストをすることにより、メスメリズムは急速に心霊的世界に接近していった。被験者の一部は、自分の病気を治しただけではなく、まったく医学的知識を持っていないにもかかわらず、他人の病気をも診断し、最も効果的な治療法を指示した。また、列席者(新聞記者)の財布の中身を、コインの種類からその数までぴたりと当てたという。また、未来のできごとを予見したり、密閉された箱の内部の物体を見たりと、その他さまざまな超常現象の実験をしたとされている。このとき、メスメリストたちは、動物磁気催眠が引き起こす多種多様な超常現象こそ、科学を越えた「超科学」であると唱えた。しかしこのような不可思議な、科学的に証明されないものは、世に受け入れられないのが昔も今も常である。

かくしてメスメリズムは、フランス革命以後、”催眠”の原点である”メスメリズム”からはなれ、「超科学」という不可思議な思想を形づくっていった。時は1778年から1780年頃のことである。

このような、ある意味でオカルティックな催眠実験を主体にした”メスメリズム”に対して、催眠現象は大脳内部の生理学的な作用であるとして、「ヒプノティズム」と命名したのがイギリスの外科医”ジェイムス・ブレイド”である。

彼によって近代科学の領域に引き寄せられた催眠術研究は、1880年代にいたって、さらに”フロイト”等の研究によって精神分析の内部に取り込まれ、心理学の一分野として認められるようになり、フランスを中心に最盛期を迎えるようになった。

したがって現在も、和英辞典によって「催眠術」と引用すると、”メスメリズム'”ヒプノティズム”と二つの言葉が出てくる。しかし、現在はほとんどヒプノティズムで統一されているようである。

日本における催眠術

日本に催眠術が移入されたのは明治16年(1883年)頃とされているが、当時の日本は、メスメリズム的な催眠とヒプノティズム的な催眠が、ミックスされて移入されてきた。こっくりさん(テーブルターニング)等はメスメリズム的催眠のひとつである。メスメリズムの、オカルティックなイメージを払拭するために命名したヒプノティズムは、やがて19世紀後半から20世紀にかけて心理学、精神医学の一分野とされる一方、メスメリズムは、オカルトであり魔術、妖術、と同類にされていった。要するに、ヒプノティズム=「科学」、メスメリズム=オカルト、という形成のまま現代に至っている。

また、現代は、ヒプノティズム的な催眠の研究がほとんどで、メスメリズム的な催眠の研究はほとんどされていないために、催眠誘導法も初期の誘導法とはかなり違いが出てきていることも確かである。また、その誘導法が進歩されたものもあり、その逆があることも事実である。これは例えて言うと、「柔道」をルールで縛りつけ、反則技(禁止技)を多く作り、しかも重量制にし、完全なスポーツにしてしまったために、本来の「武術としての柔道」がまったく消えていってしまったのに似ている。

21世紀に入り、科学万能の現在でも、「催眠」というものをすべて科学で割り切ろうとすると、いささか無理があるような気がする。

「催眠」とはそんな底の浅いものではない。いろいろな実験やテストを続ければ続けるほど、現在の科学では説明のつかない数々の現象が出てくる。

これははたしてオカルトの分野なのか、または、現在の科学より先にいっているのか、それはさだかではない。

要するに、「脳と心のつながり」「意識と無意識の関係」「精神と魂」「死後の世界」等が科学的に解明できない限り、「催眠の世界」も解明できないのではないかと思う。催眠とはそのくらい奥の深いものである。

1770年代、「動物磁気」「動物電気」ということで、動物から発する磁気や電気をコントロールすることでいろいろな現象が起こると、催眠現象を科学的に説明しようとしたのがアントン・メスメルである。

かくして、メスメリズム的催眠は、「科学」と「オカルト」両極のイメージを一気に獲得し、1900年以降、催眠術は再びブームを迎えた。

日本においても明治36年(1903年)以降一気にブームとなり、明治36年から明治45年にかけて、実に1 0 0冊以上の催眠術書が刊行され、また、小野福平の「大日本催眠術奨励会」、桑原俊郎の「精神研究会」、山口三之助の「帝国催眠学会」等が、組織的な通信教育を軸とする民間団体として活動するようになった。

ちなみに当時の、催眠術の伝授料金は、三十円前後(当時、もりそば一杯の料金が二銭ということは、現在四百五十円の計算で、約六十七万五千円に相当する)であった。

催眠術と心霊学

二十世紀初頭に始まり、現在でもいまだに、科学とオカルティズムの中間的立場にある「心霊学」という分野がある。

心霊学とは、霊の実存、テレパシー、透視、念力等その他の超常現象を、科学的に検証しようという学問(万人が学問として認めているわけではない)で、この中には催眠術も含まれている。催眠術は心霊学にとって、それ自体が研究対象であり、また、二十世紀初頭には、超常現象を意図的に発生させる術として、あたりまえに利用されていた。また当時、欧米のある一派の研究団体の中には、催眠術を心霊現象と唱える一派も出てきたりして、本当は心理学と密接な関係にあったはずの催眠というものが、時代と共に心理学と切り離されていってしまったことも事実である。しかし、催眠現象の中には、現在の心理学でも、簡単に説明のできない現象があることも事実である。

要するに「催眠」というものは、「暗示」だけを取れば、ある程度科学的に説明できるが、暗示により誘導される「心」の追求をして行くと、テレパシー、透視等の超常現象につながりが出てきて、科学的に説明のつかない現象が出てくる。また、「気功」とも密接なつながりが出てくることも事実である。この変の催眠研究は、二十世紀初頭も現在も、あまり進歩していない。この変の不可思議さが「催眠」の魅力でもあるのだ。

福来友吉

福来友吉

日本における「催眠」の歴史をひもといて行くと、必ず「福来友吉」という名前と、「千里眼事件」というのが出てくる。

福来友吉(1869~1952)とは、催眠術の研究に本格的に取り組んだ日本最初の心理学者で、当時東京帝国大学に心理学教授として在籍し、明治三十九年、「催眠心理学」「催眠心理学概論」(明治三十八年出版)という著書を出版し、戦前までの日本を代表する催眠研究の書として評価されていた。

図 2:福来友吉博士。超常能力の実験を行い、世界に先駆けて「念写」という現象を発見した。

福来の著書「催眠心理学」は、欧米での当時の研究状況と膨大なる実験データが記載されていて、このなかには、合理的説明のつきにくい現象が、数多く記載されている。

例えば、福来本人の実験のなかに、催眠に入っている被験者が、福来の机上に置かれていた学習書の何ページに何がかかれているかをぴたりと言い当てたとある。しかも、この被験者は、高等教育を受けたものではなく、その学習書を理解することなどとても不可能だったという。こうした実験結果から、彼は超常現象の存在を意識し始めていった。

「催眠心理学概論」には、プランセット(こっくりさんの原点)による自動書記現象を、誰にでもある、第二人格(現在の多重人格現象)の自分以外の人格による現象と解釈し、また当時ちまたで流行していた、霊界との交信現象を、強迫観念にもとづく幻視、幻聴と位置づけている。しかし、催眠による”感覚鋭敏化現象”として「千里眼」(当時、透視や予言等のことを千里眼といった)等は、「潜在意識」による特殊現象とするだけで、その具体的な分析はされていない。この種の研究は、当時も現在もまったく同じである。 千里眼事件とは、明治四十三年(1910年)から四十四年にかけて、超常能力の有無をめぐっての肯定派と否定派を二分し、論戦した事件であり、当時マスコミの中心であった新聞を大いににぎわした事件である。この事件の中心人物は、御船千鶴子と長尾都子という二人の超常能力者(千里眼)で、この二人の女性をいろいろな角度から、実験研究をしたのが”福来友吉”であった。また、この二人の女性が超常能力にめざめたきっかけが催眠術であったことから、催眠術自体が、この事件に深く関与したことになり、催眠術の動向にも大きな影響を与えた。

右:御船千鶴子、左:長尾郁子

明治四十三年九月以降、千鶴子が本格的にマスコミに登場するようになると、全国から続々と超常能力者が名乗りを上げた。この中の、二十八人の超常能力者に関するデータによると、催眠中の暗示によると答えたものが九人、御船千鶴子を模凝したと答えたものが五人、(「千鶴子の模擬」とは、催眠術による暗示と、精神集中トレーニングのことだと思う)ということは、理由不明の者三人を除いた二十五人中、じつに十四人が超常能力発現のきっかけを「催眠術」としていることになる。

図3:右は精神を集中して透視をする御船千鶴子、左は世界で初めて念写を成功させた長尾郁子

やがてこの二人の女性の急死(明治四十四年一月千鶴子の自殺、同年二月都子の病死)により、また、日露戦争の影響もあって、千里眼事件は終止符を迎えた。

その後、物理学者を中心とする否定派学者の強力な批判、マスコミによる批判もあり、福来友吉は、おおやけの場から遠ざかっていった。

その”福来友吉”が再び沈黙を破ったのが、二年後の大正二年(1913年)八月、「透視と念写(宝文社)」の刊行である。彼は同書で、新たな超能力者、高橋夫人の存在を紹介すると同時に、かって彼と一緒に実験研究をしたことのある、物理学者などに共同実験を呼びかけたが、福来の呼びかけに答えたものは一人もいなかった。

その後福来は、大正四年十月(1915年)東京帝国大学を去っていった。去っていったというよりも、追放されたという方が的確かもしれない。その頃の福来は、催眠、透視、念写、霊現象等の、オカルト現象の研究に没頭していたため、世間からは、お化け博士とか、幽霊博士と云われ、変人あつかいされていた事も事実である。福来が四十六才の頃の話である。(1952年83才にて没)

催眠術と法令

「医師法」の施行により医療関係者の身分が確立したのは、明治三十九年五月二日である。また、催眠術の取り締まりを項目に加えた「警察犯処罰令」の施行されたのが、明治四十一年九月二十九日である。この規定には次のようになっている。

“「濫(みだり)二催眠術ヲ施シタル者ハ、三十日以下ノ拘留、又ハ二十円以下ノ罰金」”

当時の東京帝国大学医科大学を卒業し、内科か外科を選べば、高い社会的地位と、高収入は約束されていた。要するにエリート中のエリートである。またこの頃、精神科の地位は非常に低く、精神科を希望するものは変人といわれるほどで、ほとんどいなかった。

しかし、民間レベルの催眠療法所は巷に氾濫し、技術的上下はあるにしても、催眠療法で完治してしまう場合が多く、ビジネス的に当然エリート医師たちを脅かした。

確かに催眠術は、犯罪につながる要素は十二分にあるが、当時、医師たちを脅かしたことも事実である。例えば、当時催眠術界の第一人者と称されていた清水英範は、出張治療の度に、大量の患者を集め、彼の出張先の病院を経営困難に追い込んだという。丁度その頃出来たのが上記の「警察犯処罰令」である。しかし、いつなくなったか定かでないが、現在はこの規定はなくなっている。

現在でも、高年令医師の過半数の人達が、催眠術を極端に嫌うところがあるのは面白い現象である。これは祖父の代から伝えられた、医師家族の言い伝えなのかもしれない。

上記のように、催眠術が軽犯罪法の取り締まり対象になる事で、催眠術師達は、衣替えを余儀なくされた。そこで、「催眠術」という名を使わなければ、取り締まり対象にはならないと云う事で、催眠術を「霊術」という名前に変えていった。

当時の「催眠術」を、ネーミングを変えたものに次のようなものがある。

心霊治療、大霊道、リズム学、気合術、念射療法、神術、霊動術、精神療法、等・・・

また、催眠術のネーミングを霊術に変えた事により、宗教色が濃くなってきたことも興味を引くところである。また、大正九年(1920年)末の段階で、大阪には多数の霊術団体がひしめいていたという。その主なものだけでも「天命学院」「大霊道大阪支部」「御獄教天霊教会」「心霊現象研究会」「帝国神秘会」「天霊協会」などなどである。なかには、そのまま名前を変えて、現在では有名な宗教団体になっているものもいくつかある。

やがて大正期に入り、催眠術はさまざまな精神療法、新宗教の中に溶け込んでいった。フロイトの精神分析が話題になったのも丁度この頃である。

メスメルの動物磁気治療とは、治療を受けた人も大量の動物磁気を体内に保有し、すぐに他の人の治療ができるということで、動物磁気催眠術師の数は、飛躍的に増大していった。これとまったく同じことが、大正期に入った日本でも霊術界で起こっている。

やがて、昭和十年(1935年)頃になると、霊術に対しての国家の圧力が一段と強化され、民間での催眠術は消えていった。しかし、陸軍中野学校では密かに、催眠術が教授されていたと伝えられている。日本における催眠術は、この頃までが絶頂期で、この時代で封印されてしまった。したがって、この時代には、すぐれた実践派の催眠術師が、数多く居たことも事実である。しかし、その催眠誘導テクニックは、現在一部しか伝えられて居ない。この辺の流れは、武術の世界に非常に類似して居る。

時代と共に発展していくものの方が多い中に、日本の催眠技法は一昔前に、取り残されれてしまったような気がする。この辺のところが、催眠術の奥の深いところであり、魅力でもあるのだ。

日本における催眠の現状

「催眠」と云うと、特殊な人にしか出来ないのではないかとか、相当な練習や修業が必要なのではないかと思われがちです。しかし本当は誰にでも習得出来、催眠者(催眠術師)になることが出来ます。

現在日本では、催眠者人口はいたって少なく(あなたのまわりで催眠の出来る人を捜してみて下さい。まず居ないと思います)技術の上下は別として、ある程度出来る人は、ほんの一握りしか居ないのが現状です。

「催眠」と云うと、一般の人には何となく”うさんくさい””まやかし”という印象を持つ人が多く、マジックや占い系と同類視されがちです。

しかし実際は「心」「思考」の分野における最先端の科学であり、未知の科学(現在までの科学では証明出来ない事柄)にもつながりを持つ技法であると確信を持って云えます。この様に本当はすごい技術なのに、あまり技術者が居ないと云う所が「催眠」の魅力でもあるのです。

現在、欧米におけるプロのカウンセラーは、催眠が出来ないと一流と云はれないのが現状で、プロスポーツ等にたずさわるメンタルトレーナー等は催眠を当たり前に利用しています。また、韓国では催眠を警察で催眠捜査(例えば犯罪の目撃者を逆行催眠誘導し、容疑者の人相や車のナンバー等をその時の状態にして見さす)として取り入れていると聞きます。

この欧米の現状を見ても、今、催眠に興味を持ち、技法を習得しておく事が、将来貴方にとって様々な事にプラスになり、貴重な人材の一人になる事はそれほど先の事ではないと思います。

貴方も「催眠術」が自分のモノになり使えるようになった時、良い意味で人生が変わった事を実感するでしょう。