日本における催眠術

日本に催眠術が移入されたのは明治16年(1883年)頃とされているが、当時の日本は、メスメリズム的な催眠とヒプノティズム的な催眠が、ミックスされて移入されてきた。こっくりさん(テーブルターニング)等はメスメリズム的催眠のひとつである。メスメリズムの、オカルティックなイメージを払拭するために命名したヒプノティズムは、やがて19世紀後半から20世紀にかけて心理学、精神医学の一分野とされる一方、メスメリズムは、オカルトであり魔術、妖術、と同類にされていった。要するに、ヒプノティズム=「科学」、メスメリズム=オカルト、という形成のまま現代に至っている。

また、現代は、ヒプノティズム的な催眠の研究がほとんどで、メスメリズム的な催眠の研究はほとんどされていないために、催眠誘導法も初期の誘導法とはかなり違いが出てきていることも確かである。また、その誘導法が進歩されたものもあり、その逆があることも事実である。これは例えて言うと、「柔道」をルールで縛りつけ、反則技(禁止技)を多く作り、しかも重量制にし、完全なスポーツにしてしまったために、本来の「武術としての柔道」がまったく消えていってしまったのに似ている。

21世紀に入り、科学万能の現在でも、「催眠」というものをすべて科学で割り切ろうとすると、いささか無理があるような気がする。

「催眠」とはそんな底の浅いものではない。いろいろな実験やテストを続ければ続けるほど、現在の科学では説明のつかない数々の現象が出てくる。

これははたしてオカルトの分野なのか、または、現在の科学より先にいっているのか、それはさだかではない。

要するに、「脳と心のつながり」「意識と無意識の関係」「精神と魂」「死後の世界」等が科学的に解明できない限り、「催眠の世界」も解明できないのではないかと思う。催眠とはそのくらい奥の深いものである。

1770年代、「動物磁気」「動物電気」ということで、動物から発する磁気や電気をコントロールすることでいろいろな現象が起こると、催眠現象を科学的に説明しようとしたのがアントン・メスメルである。

かくして、メスメリズム的催眠は、「科学」と「オカルト」両極のイメージを一気に獲得し、1900年以降、催眠術は再びブームを迎えた。

日本においても明治36年(1903年)以降一気にブームとなり、明治36年から明治45年にかけて、実に1 0 0冊以上の催眠術書が刊行され、また、小野福平の「大日本催眠術奨励会」、桑原俊郎の「精神研究会」、山口三之助の「帝国催眠学会」等が、組織的な通信教育を軸とする民間団体として活動するようになった。

ちなみに当時の、催眠術の伝授料金は、三十円前後(当時、もりそば一杯の料金が二銭ということは、現在四百五十円の計算で、約六十七万五千円に相当する)であった。