催眠術と法令

「医師法」の施行により医療関係者の身分が確立したのは、明治三十九年五月二日である。また、催眠術の取り締まりを項目に加えた「警察犯処罰令」の施行されたのが、明治四十一年九月二十九日である。この規定には次のようになっている。

“「濫(みだり)二催眠術ヲ施シタル者ハ、三十日以下ノ拘留、又ハ二十円以下ノ罰金」”

当時の東京帝国大学医科大学を卒業し、内科か外科を選べば、高い社会的地位と、高収入は約束されていた。要するにエリート中のエリートである。またこの頃、精神科の地位は非常に低く、精神科を希望するものは変人といわれるほどで、ほとんどいなかった。

しかし、民間レベルの催眠療法所は巷に氾濫し、技術的上下はあるにしても、催眠療法で完治してしまう場合が多く、ビジネス的に当然エリート医師たちを脅かした。

確かに催眠術は、犯罪につながる要素は十二分にあるが、当時、医師たちを脅かしたことも事実である。例えば、当時催眠術界の第一人者と称されていた清水英範は、出張治療の度に、大量の患者を集め、彼の出張先の病院を経営困難に追い込んだという。丁度その頃出来たのが上記の「警察犯処罰令」である。しかし、いつなくなったか定かでないが、現在はこの規定はなくなっている。

現在でも、高年令医師の過半数の人達が、催眠術を極端に嫌うところがあるのは面白い現象である。これは祖父の代から伝えられた、医師家族の言い伝えなのかもしれない。

上記のように、催眠術が軽犯罪法の取り締まり対象になる事で、催眠術師達は、衣替えを余儀なくされた。そこで、「催眠術」という名を使わなければ、取り締まり対象にはならないと云う事で、催眠術を「霊術」という名前に変えていった。

当時の「催眠術」を、ネーミングを変えたものに次のようなものがある。

心霊治療、大霊道、リズム学、気合術、念射療法、神術、霊動術、精神療法、等・・・

また、催眠術のネーミングを霊術に変えた事により、宗教色が濃くなってきたことも興味を引くところである。また、大正九年(1920年)末の段階で、大阪には多数の霊術団体がひしめいていたという。その主なものだけでも「天命学院」「大霊道大阪支部」「御獄教天霊教会」「心霊現象研究会」「帝国神秘会」「天霊協会」などなどである。なかには、そのまま名前を変えて、現在では有名な宗教団体になっているものもいくつかある。

やがて大正期に入り、催眠術はさまざまな精神療法、新宗教の中に溶け込んでいった。フロイトの精神分析が話題になったのも丁度この頃である。

メスメルの動物磁気治療とは、治療を受けた人も大量の動物磁気を体内に保有し、すぐに他の人の治療ができるということで、動物磁気催眠術師の数は、飛躍的に増大していった。これとまったく同じことが、大正期に入った日本でも霊術界で起こっている。

やがて、昭和十年(1935年)頃になると、霊術に対しての国家の圧力が一段と強化され、民間での催眠術は消えていった。しかし、陸軍中野学校では密かに、催眠術が教授されていたと伝えられている。日本における催眠術は、この頃までが絶頂期で、この時代で封印されてしまった。したがって、この時代には、すぐれた実践派の催眠術師が、数多く居たことも事実である。しかし、その催眠誘導テクニックは、現在一部しか伝えられて居ない。この辺の流れは、武術の世界に非常に類似して居る。

時代と共に発展していくものの方が多い中に、日本の催眠技法は一昔前に、取り残されれてしまったような気がする。この辺のところが、催眠術の奥の深いところであり、魅力でもあるのだ。